気まぐれ日記 09年2月

09年1月はここ

2月1日(日)「1月分の最後の仕事を一気に完了・・・の風さん」
 天気は好いが、今日も風が強い。
 午前中に岩波書店の雑誌「科学」向けの原稿の仕上げをやり、午後から出かけた。
 先ず、地元の図書館に相互貸借で借りてもらった貴重書を返却し、帰宅してすぐ電車で名古屋へ向かった。
 最寄りの駅を出たのが、1:36。県図書は地下鉄の駅から遠いので、名古屋駅からは市営バス。2:45発だった。新たに借りる本を検索してプリントし、2冊返却と同時に、書庫から2冊出してもらった。しばらくして届いたので、早速借りた。
 今度は地下鉄で名古屋へ。すぐに名鉄の駅へ向かい、ホームで5分も待たずに電車が来た。
 最寄りの駅に着いたのは4:36だったから、往復3時間だった。効率の良い移動をしても3時間もかかるということは、それだけ私が田舎に住んでいるということだろう。しかし、車中で本も読めたので、無駄ということはない。
 夕食までに「科学」向けの原稿の最終調整が完了し、電子メール添付で送付した。
 夜は、たまっていた経費処理。1月分を一気にやったので、けっこう大変だった。

2月2日(月)「根性ですべり出したものの・・・の風さん」
 少し寝不足で起床。しかし、根性で行動した。
 最寄りの駅まで英語を聴きながら歩き、電車内では読書。再び会社バスでは英語のリスニング。
 今日は朝から会議の連続だった。
 それでも、昼休みには英語の勉強。
 帰りの電車で読書して、やっと帰宅。
 ところが、夕食後、ワイフの会計の仕事の手伝い(エクセル表の作成)で、あっという間に就寝時間がやってきた。
 1週間のスタートダッシュは勇ましかったが、最後にこけた(笑)。

2月3日(火)「何なんだこれは?・・・の風さん」
 電車通勤で、若者の風体に驚くこともなくなった(ちょっと危険か)。
 ところが、ここ1週間で、2回、異常なものを目撃した。
 先週、東京の某駅の改札口の外で待ち合わせているときだった。午後6時過ぎで、電車が到着するたびに人の洪水が押し寄せる時間帯である。その状況を何気なく眺めていたので、最初、何が起きたのか分からなかった。私の目の前を一人の若者(男)が風のように通り過ぎて行って、すぐに見えなくなった。私はその消え去る背中をしばし呆然と眺めたのだが、よく思い出してみると、その若者は、改札口横の柵(おとなの胸の高さぐらいあった)を、横跳びに越えて出て来たのだ。
 昨日のことだった。会社の帰り、最寄りの駅が近付いて、私は降車しようとしていた。既に、ドア付近に立って、電車が着いたらすぐに降りようとしている若者(男)がいた。改札口へ降りる階段に最も近いドアは、通勤・通学の者なら誰でも知っている。若者は周囲に少しばかり神経を払っている気配があったが、私はさして気にも留めていなかった。電車が停止して、その若者を先頭にドアを出、階段を降り、改札口へ向かった。若者との距離はみるみる広がった。そして、自動改札口へたどり着くや、機械の高さよりも背を低くして、むささびのような速さですり抜けて行ったのである。機械は異常を告げる反応を示さなかったが、若者の行動は異常そのものだった。
 どちらも私は無賃乗車に違いないと思った。
 ミッシェルを運転していて、信号無視で走るクルマをときどき見るが、わずかな利得を求めて悪事を積み重ねる無神経さに、腹立たしさを通り越して同じ日本人として悲しくなる。

2月4日(水)「葬儀参列と決意」
 拙作『ラランデの星』を執筆中に、父が亡くなり、職場の上司が亡くなった。それは作品に大きな影響を与えた。
 一昨日、勤務先の顧問が亡くなられた。私の会社人生を(残りの年数も含めて)3等分した場合に、第2番目の期間直属のトップだった方である。第1番目が新人から一人前に成長させてもらった期間で、第2番目は高い意識で充実した仕事をさせてもらった期間である。
 仕事は非常に厳しいものだったが、ハイレベルな内容を精一杯やればやるほど、トップの大きな羽根に守られて何事も思い切ってやれている実感があった。そして、この期間も、私は作家として少しずつ実績を固めつつあったが、根っからの技術者であるトップは、拙作に対しても興味と期待をかけてくれ、私は精神的に矛盾のない会社生活を送ることができた。
 そして、直属のトップでなくなった後も、私は、寡作ながら作品ができれば、それを買ってもらっていた(寄贈を受け付けない凛とした高潔な姿勢を堅持される方だった)。トップは副社長になり、やや早く顧問に退かれたが、それは発見された肺がんの治療に専念するためだったらしい。
 昨年、顧問が藍綬褒章を受章されたとき、そのお祝い会の引き出物に、わざわざ私の新刊『和算小説のたのしみ』を加えてくださり、挨拶の中で「デンソーで二人目の直木賞作家誕生を期待している」と強調までしてくださった(注:一人目は東野圭吾氏)。
 今日は、亡き顧問の本葬だった。混雑を避けるため、会社では参列者の人数を徹底して絞っていたが、私はどうしても昨夜の通夜でなく、今日の本葬に参列して、顧問に感謝とお別れを告げたかった。
 幸い、職場の理解と配慮で参列が許され、私は開式の1時間前に到着して、スタンバイした。続々と詰め掛けるトップOBの懐かしい顔ぶれに、一瞬自らの青春時代が脳裏をよぎったが、今でもご自身でクルマを運転して来られるご高齢のトップOBのお元気な姿を見るにつけ、65歳で亡くなられた顧問の早過ぎる死に、悔しさが胸がせり上がってくる。昨年末まで会社には来られていたそうで、私の社会人入学での研究の進捗状況も心配されていたということを人伝に聞いていた。まともな論文成果やその先の学位取得の報告をしなければならないと思っていたのに、それが果たせないまま逝かれてしまったのだ。もちろん、文学における成果もである。成長した姿を見せられないまま、父に死なれた出来の悪い息子といった心理状態である。
 式の終わりの方で、長男の方が挨拶された。会社での輝くばかりの仕事ぶりしか知らない私らにとって、最後の闘病ぶりと初孫を含めた家族との触れ合いの話は、大きな安堵と感動を与えるものだった。そして、「亡き父はあれでけっこう寂しがりやでした。今日、これだけ多くの方々にお集まりいただけて、さぞかし喜んでいることと思います」と言われたので、通常はそこまで踏み込まない「最後のお別れ」の列に加わって、私も百合の花を一輪手向けさせてもらったが、本当に長男の方が話されたように、普通の老爺として横たわる亡骸に接し、(変な表現だが)うれしさと悲しさが一緒になって身内にあふれてきた。私は両手を合わせ、これまでのご指導と激励に対し感謝の言葉を無言で伝えた。
 斎場へ向かうクルマを合掌しながら見送ったが、これからの私に出来ることは、やりかけた学業を成就させ、文学活動も高い志を維持し続けることだ。

2月5日(木)「10年ぶりのパスポート申請・・・の風さん」
 今年10月にドイツで研究発表することが、社会人入学における大きな目標になっている。ところが、昨年の8月でパスポートの期限が切れていることは以前に書いた。超多忙の中、戸籍抄本を手に入れたり(本籍地が東京都なので、取得するには手間がかかる)少しずつ準備を進めていたが、今日、やっと名古屋の旅券センターに申請に行ってきた。
 前もってインターネットでしっかり予習して出かけたので、着いてからの手続きはスムーズに進めることができた。心配していた写真も、旅券センター横で素早く撮影してもらえた。
 10年ぶりのパスポート申請だが、相変わらず旅券センターは申請者でごった返していた。整理番号をもらってから呼ばれるまで、1時間近く待たなければならなかった。書類の準備は完璧だという自信があったので、やっと呼ばれて受付まで行くと、意外と厳しい指摘があった。
 先ず、写真。「髪の色が実際と違って写っていますね。頬のあたりが陰になっていて、シミか黒子があるように見えますね……」どうも心配らしい。「ま、これでいいんじゃないですか」と気にしている素振りを見せた。入国審査などで何か言われるのだろうか。10年も使うパスポートなら、その間にだいぶ顔の様子は変化すると思うのだが。
 次に署名。「こちらに記入してある文字と署名の字体が違っていますが、どうでしょう?」書き損じた署名ではないかという指摘である。これは鋭い指摘だった。右手が書痙の私は、同じ署名を繰り返し書ける自信はない。しかし、書き直しても無駄なので、「それでいいです」と主張して、とりあえず申請を受け付けてもらった。
 世の中物騒になってきているので、パスポートの厳格さが求められているようだ。

2月6日(金)「玉砕の意味・・・の風さん」
 二日続けて穏やかな日和だったのに、一転して強風が吹きつけた。早くも春の嵐か。
 昨日から読み始めた、星亮一先生の『アンガウル・ペリリュー戦記』を読了した。太平洋戦争末期パラオ諸島であった玉砕を取材したノンフィクションで、死屍累々の物語である。戦争にどんな大義名分があろうとも、最前線で起きていることは、単なる殺し合いだということが分かる。つまり、戦争は絶対に避けなければならない愚だということだ。こういった多くの犠牲を伴った歴史は絶対に後世に伝えなければならないと思った。世界史を必須にする前に日本史である。そして、事実を真摯にとらえた日本史、客観的で公正な執筆態度で作った教科書に基づいたものでなければならない。
 今年8冊目の読了となった。
 昨日旅券センターへ提出したはがきがもう届いた。
 
2月7日(土)「ばかげた交通取り締まり・・・の風さん」
 今日は再び朝から小春日和である。
 昨年の10月に連絡をとることができたドイツの(生産システム関係の)研究者と、その後、連絡ができないでいたのだが、今日やっと電子メールを送った。何せ英語でメールを書くので、スラスラとは行かない。しかも、理由が不明で連絡が途絶えていた。こちらからのメールが届かなかったのか、向こうからの返信をこちらが受け取れなかったのか、それが判然としないのだ。大先生なので、失礼のないように上手に書かねばならなかった。
 先ずはお詫びの挨拶を書いて、次に、昨今の経済不況の話を書いて、やっと本題に入った。
 実に3時間近くかかってしまった(汗)。
 午後から、久々にミッシェルの給油に出かけた。
 すると、途中の道・・・ここは最寄りの駅の近くで、地元の人しか通らない抜け道・・・で、警察が一時停止違反の取締りをしていた。しかも、今日はパトカーを止めて外へ出た二人で張っていた。パトカーは駐車違反だろう。
 そこではよくやっているのだが、非常に疑問である。そもそも大事故など決して起こり得ない場所だ。すぐ近くの国道の交差点の方が、信号無視も多く、事故発生の確率は断然高い。今日は土曜日だから、通勤・通学も少なく交通量はなお少ない。捕まるとしても、地元の人に限っている。地元の警察が地元の人を捕まえることにどんな意味がある? 捕まえやすい場所で捕まえているとしか考えられない。暇なのだろう。あるいは単に実績稼ぎ。万が一、私が捕まったとしたらどうだろう(安全運転をする私は、今日だって捕まらなかった)。もう28年以上、50万km以上無事故無違反である(これは心がけだけでできることではない。幸運もあったのは間違いない)。数年前に管区から優良表彰も受けている。心密かに「30年間無事故無違反」を目標にしている。それが目標達成の寸前で、つまらぬ違反でパーである。悪質なドライバーこそ捕まえるべきである。だから、もし私がそこで捕まったら、黙ってはいない。主管警察署長へ抗議の手紙を書くと同時に、公安委員会に警察の職務怠慢を訴える。地元の新聞社へも投書してやる。こんな不況の時代に血税を使って、効率の悪い(悪質ドライバーよりも普通のドライバーを対象にした)交通取り締まりをすることは「悪」である。「愚」である。
 用事を済ませて1時間半後にまたそこへ差し掛かったら、気の毒にも2台が捕まっていた。それを見てまた腹が立った。近くの県では、税収入が減って警察官を含む県の職員の給料が気の毒にもカットされる。今日、愚かな交通取り締まりをやっていた奴らは、懲罰として減俸すべきだと思った。
 むしゃくしゃして事故を起こしてはいけないので、まじめに運転して帰宅し、また書斎で仕事に戻った。
 
2月8日(日)「春は来る・・・の風さん」
 しばらく、本当にわずかな期間、楠木誠一郎さんの新刊が届かなかったので、あれれ、と思っていたら、ちゃんと来た。『パラレル!A課外授業の罠』(ジャイブ)である。裏表紙を読んでみると、何やら妖しいストーリーらしい。「美土代(みとしろ)学園ではしばらく平穏な日々が続いていた。が、教育実習生の四王天(しおうてん)祥子(しょうこ)が来てから再び学園に妖しい影が迫る……」読みにくい名前だなあ(笑)。最後はモンスターが出てくるとか。
 今日も小春日和だった(少し風は強いが)。サンルームから庭を眺めたら、梅が咲き始めていた! 桜では桜餅を連想しないが(花見団子も連想しないが)、梅を見ると梅をかたどった和菓子(白餡のね)を連想してしまう。濃いめのお茶で食べたい。やがて桜の季節になると、会社生活30年目に突入だ。信じられない長さ。
 帰宅する次女を駅まで迎えにワイフがクルマで出かけた。そのわずか数分の間に事件が起きた。玄関から上がった廊下にシルバーがオシッコを大量にしてしまったのだ。高3の次女より1歳くらいしか下でないシルバーの肉体年齢は、恐らく80歳を越えているのだろう。最近はめっきり老け込み、目も鼻も耳もすべて悪いらしいし、下半身も衰えている。したがって、トイレがちゃんとできずに粗相が多い。夕方、トイレの外に落ちていたう@ちを2個拾って、水洗トイレに流したのは私だ。それからあまり時間は経過していない。次女は知らずにスリッパで踏んでしまい、ワイフは満々とたたえられたオシッコの池を見て卒倒しそうだった。もし私が最初にそこを通りかかったら、すってんころりんと滑って転倒していたに違いない。
 「そろそろシルバーにもオムツが必要だな」
 「そうね」
 情けない夫婦の会話ではある。
 しかし、福島の母も最近すっかり老け込んで、世間によくある状態に向かって突き進んでいるのを知っているだけに、シルバーが不憫でならないのだ。
 春夏秋冬。めぐりめぐって月日は過ぎ、気が付けばとんでもない年数を経ていることになる。
 それでも、春は来る。
 
2月9日(月)「たまには穏やかな日・・・の風さん」
 天気は下り坂らしいが、風もなく、当然寒くもない中、最寄りの駅へ向かう坂道を下りて行った。
 伊勢湾を越えて三重県の方がくっきりと見えた。だから、湾内を走る大型フェリーが幾艘も雄姿を朝の光にさらしていた。4連休でも仕事を頑張った私は、やや疲れた体にムチ打って出社した。
 いつものように問題ばかりで、のんびりした時間は過ごせなかった。それでも、昼休みにビジネス英語のテキストを3ページだけ読んだ(塵も積もれば山となる Many a little makes a mickle.)。
 夕方には雨になる予報もあったが、退社時も穏やかな天候だった。
 今日は往復の電車で、上野健爾先生の『数学フィールドワーク』を読んだ。現代版『塵劫記』といった趣の本だ。面白い。

2月10日(火)「寒い経済に効果的なカイロはない・・・の風さん」
 だんだん暖かくなっているのを実感する。しかし、電車通勤の朝晩はまだまだ寒さを感じる。特に、最寄りの駅のホームは、海を遠望できる代わりに強い風が吹き付けることが多い。今年は充電式カイロを愛用している。たった1個をポケットにしのばせているだけなので、ほんの気休めだが、寒さによる心臓発作で死ぬのではないか、という恐怖はやわらぐ(大袈裟な)。とにかく暖かいことは暖かい。
 今日も会社の仕事は忙しかった。わずかな昼休み時間にビジネス英語のテキストを、今日は2ページだけ読んだ。
 定時後も緊迫した状況が続いていたが、プライベートも緊迫している私は、1時間程度の残業で失礼させてもらった。
 それにしても、会社は大ピンチである。さまざまな手が打たれているが、次年度の年収は激減間違いなしだ。多くの会社が同じ状況だから、ますます購買意欲が低下して、デフレになるかもしれない。経済は冷え込むばかりだ。

2月11日(水)「今日は会社人間・・・の風さん」
 相変わらず仕事がピンチで、今日も朝から緊張が続いた。
 それで、午前中に診療所へ行くことをすっかり忘れ、昼食後に行った。
 会社の経営状況が悪化しているため、経費節減により、これまで無料だった投薬が中止され、外部の医療機関への紹介状を渡された。勤務中に短時間に診察を受けられるのが最大のメリットだったのに、これでは無理をする従業員が増えるのではないか。しかし、ドクターいわく「今さら3割個人負担のシステムに変更するのはコストがかかって大変なのでしょう」とのこと。そういうことか……。
 わずかに残った昼休み時間で、今日もビジネス英語を2ページ。
 午後も超多忙で、仕事が終わらず、残業になった。おかげで歯医者へ行く予定が実行できず、キャンセルの電話を入れるハメに。
 歯医者へ行くために、今日はミッシェルで出社したのだが、会社バスのなくなる時間まで仕事することができた。
 
2月12日(木)「今日も会社人間・・・の風さん」
 今日もミッシェルで出社。朝陽を浴びる畦道に、ところどころ黄色いかたまりが……。菜の花だった。それを見て切ない想いを抱くより、菜の花のおひたしを連想してしまうとは、何とも情けない。
 ラジオ体操を終えてすぐ仕事に着手。午前中も午後もひたすら仕事だった。ただし、昼休みにビジネス英語を2ページだけは勉強した。
 夕方になって、全く仕事が終わる気配がなかったので、大野先生へ電話して、今夜は行けない、と連絡した。そうである。今夜は、大学へ先生を訪ねる予定だったのだ。
 そのまま残業に突入し、9時過ぎに疲れ果てて、仕事を終えた。経営状態が悪いので、仕事を効率化しなければならない。会議の資料も有り合わせでかまわない、とされるが、実際はそうは問屋が卸さない。長年の習慣はいい加減な資料を受け入れることができないのである。
 真っ暗な道路をひた走って家路を急いだ。もちろん路傍の菜の花は全く見えない。
 なーんだ、今日も1日会社人間だったわけだ。
 
2月13日(金)「生暖かな1日・・・の風さん」
 今日は13日の金曜日だが仏滅ではない(ま、どうでもいいことだが)。
 しかし今日は、不景気のあおりを受けて、勤務先が一斉休業日にしたためお休みである(つまり自宅待機みたいなもの)。
 外が明るくて、やや寝不足気味で起床した。
 次女が受験のために上京するので、付き添いのワイフも含めて、最寄りの駅まで送った。
 その足で、銀行へ行って現金を引き出して、郵便局で振り込んだ。今日は振り込め詐欺の厳戒態勢が全国的に敷かれていたらしいが、気が付かなかった。
 さらに地元の図書館へ行き、依頼してあった相互貸借本を借りてきた。昭和5年の本だが、実に保存状態が良いので驚いた。香川県立図書館の所蔵である。
 昼食後、雑誌「科学」の校正用ゲラをチェックし、今度は自分が名古屋へ出かけた。
 10年用パスポートを受領し、とんぼ返り。往復の車中は読書。
 夕食後、誰もいない1階のリビングで、2匹の猫とたわむれながら会社の仕事をした。
 終日気温が高く、夕方少し雨が降ったが、春はもうすぐそこまで来ているようだ。景気の春も早く来てほしい。
 
2月14日(土)「老化は幸福・・・の風さん」
 昨夜は会社の仕事で就寝が遅くなってしまった。それで、起床は9時過ぎで、バタバタしながら、あっという間に出かける時刻になってしまった。ワイフがいないので、猫の世話がけっこう大変だった。特に、おいぼれシルバーの下の世話。玄関のたたき全体がトイレ化しているので……。
 今日は本山キャンパスでドクター論文の公聴会がある。来年の我が身を想像するためにも、出席は大事である。
 二人の発表があった。どちらも膨大な研究をベースにした内容で(つまり3年間だけの成果ではない)、緊張した。身が引き締まる思いとはまさにこれだろう。これから約1年間で、会社の仕事をやりながら、作家業もやりながら、家庭生活も普通に送りながら、立派な成果を出さねばならない……とすると、普通の努力では無理である。
 夕方、次女の付き添いから帰ってきたワイフを、新幹線改札口で迎えた。付き添いで行ったのだが、実際は、今日、東京でトールペインティングのショップ2軒を回ってきている。のんきなものだ。ワイフによると東京は20℃まで気温が上昇したそうで、暑いくらいだったという。
 私は実際はピンチだが、エネルギーの蓄積も必要なので、ワイフと食事してから映画を観た。ブラッド・ピットの「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」である。
 大作だった。ストーリーは「タイタニック」と似ていて、死期のせまった老婆が越し方を語るもの。冒頭の若返る赤ん坊の誕生やその子を捨てる場面は、全く納得できなかったし、終わりの方の、最後は幼児になって赤ん坊になって死んでいくあたりは、駆け足で雑な作り方になっていたが、間のあんこの部分は実に良かった。立派な文芸作品である。小説が文章による描写で表現するものを、映画では役者による演技力と今回の場合はメーキャップ(肉体も含めて老化と若返りの特撮)で表現している。これが見事。また、テーマというか主題も、老化と若返りを逆に進行させることで、自然の営み(一緒に老化していく人生の喜び)の意味を際立たせていた。
 母の老化、シルバーの老化、そして私自身の老化、と抵抗したいことだらけだが、これらは自然であり、幸福なのだ。

2月15日(日)「次女が帰宅・・・の風さん」
 3連休なのに、今日はやっと執筆できそうだ。しかし、寝坊した(笑)。
 先ずは、岩波書店の雑誌「科学」のゲラ校正の仕上げをやり、郵送の準備をした。徒歩で団地内のポストに投函しに行ったら、休日の回収時刻が消されていた! もしかするとコスト削減か? 今度は、ミッシェルで遠くのポストまで行ってきた。そこでも、回収は明日の午前で、届くのは火曜日だろう。
 帰宅してから、電子メールでもいちおう送っておいた。
 昼食後、会社のサーバーにアクセスしてしばらく仕事。これがけっこう時間を食った。
 夕方になり、ようやく某誌向け連載計画に着手しようとしたが、猛烈に眠くなってきてダウン。
 1時間ほど仮眠してから、階下でコーヒーを飲みながらドーナツを食べたら元気が出てきた(笑)。
 夕食をはさんで、何とか連載計画を書き上げたので、編集者へ送信した。
 その頃、次女が東京から帰宅した。美大油絵の受験は基本的に実技のみで、二日間でのべ10時間に及ぶ試験で疲労困憊したようだ。とりあえず今回の受験は練習で、次とその次の大学が志望校である。3つとも難度はきわめて高い。本人が決めた進路であり、重圧で押しつぶされそうなのではないか。良い結果が出ればいいが……。3月の末まで次女も緊張が続く。
 
2月16日(月)「花粉症でパニック・・・の風さん」
 昨夜から鼻がむずむずしていた。花粉症の兆候である。もう30年以上もの付き合いなので分かる。薬を飲んで寝た……が、今朝も不快な感じである。朝食後に薬を飲んだ。
 外へ出ると少し寒い。本来の冬への逆戻りだろうか。
 出社してから、花粉症がひどくなった。鼻水だけでなく、目もかゆい。何度も目薬をさす。もう仕事どころではない……が、そうは言っておれない。休み休み仕事をしていたので、さっぱり能率が上がらなかった。昼食後にも薬を飲んだが、効いてこない。副作用の少ない薬では、即効効果は望めないか。とうとうクリーンルーム用のマスクまで使ってみたが、ほとんど効果なし。明日は花粉症専用マスクを買ってみよう。
 夕方から猛烈に冷え込んできた。花粉症とのダブルパンチだ。
 帰宅してますます具合が悪くなったので、夕食後、抗ヒスタミン剤を飲んだ。最後の手段である。
 執筆どころでない。精神的にもパニックである。

2月17日(火)「コンビニでの出来事・・・の風さん」
 今朝も寒い。急に冬型の気圧配置になったせいだ。カイロをポケットにしのばせて家を出た。
 いちおう花粉症の薬を飲んで出てきたが、不安があったので、会社バスを待つ間に近くのコンビニに寄って、専用マスクを買うことにした。色々な種類があって少し迷った。
 レジが混んでいた。一人しか店員がいないからだ。しかも老人。どう見ても80歳は過ぎている。しかし、雑多な組合せの品物の中から、惣菜パンを電子レンジに入れ、タバコを棚の中から選び出し、客が差し出すバラバラの紙幣とコインを選り分けて、釣りを渡し、袋の中へ固くて重いものから手際よく詰め込みながら、電子レンジから惣菜パンを持ってくる。機敏ではないにしても、よどみなく正確な手さばきだ。
 やっと順番が回ってきた。なぜかバーコードを2回読んでしまったらしく、品物2個分の金額が表示された。「1個です」と言うと、すぐにやり直す。棚には30円引きの表示があったが、レジでそれは出ていなかった。多くの客の相手をしている80歳に敬意を表して、クレームはつけなかった。
 幸い、今日は、会社で花粉症はほとんど出なかった。
 昨日の分を取り戻そうと、急いで帰宅したら、長女が名古屋から帰省していた。
 「知ってた? 今日、お義父さんの命日だったわ。それで、墓参りに帰ってきたのよ」
 ワイフの言葉に絶句。たしかに忘れていた。
 コンビニの老人にクレームをつけなくて良かった。
 
2月18日(水)「紙に愛着・・・の風さん」
 いくらか寒さはゆるんだが、まだ寒い。老いの身には寒さがこたえる(おお、なんと気の弱いセリフ)。
 昨日、一昨日と違って、ほとんど会議のない1日となったので、会社で身辺整理を始めた。大混乱状態にある学業関係の資料を、きちんとファイリングしようという大胆な試みである(笑)。
 パソコンやインターネットの活用が増えたために、紙の資料とバーチャルな資料が混在するようになった。これがファイリングというか蓄積した資料の「見える化」を阻害するようになった。いっそ徹底してバーチャル資料に統一してしまえばいいのかもしれない。しかし、やはり紙の資料できちんとファイリングされている方が、古い人間には仕事がしやすいし、気持ちも落ち着くのである。
 そして、何と言っても、本はいい。好きだ。この1冊の本が、自分の仕事の成果として形になったものだとしたときの幸せ、喜び。
 楠木誠一郎さんの、また新しいシリーズが誕生した。角川つばさ文庫『大江戸神龍伝 バサラ!』である。女子中学生あたりが対象の、奇想天外なストーリーらしい。読者全員プレゼント付き、というのも新商法かもしれぬ。
 昼休みに新人物往来社から電話があった。いよいよ文庫出版の準備が始まるという。

2月19日(木)「久しぶりのドライブ・・・の風さん」
 私用の仕事がたまり過ぎたので、午後を半日有休にした。
 昼食をゆっくり摂っている時間がなかったので、コンビニでパンを買ってミッシェルの中で食べ、某高校へ。かつてお世話になった先生からメールがあったのを良い機会と感じ、その高校の図書館へ拙著を何冊か寄贈させていただいた。高校生には少し難しいかもしれないが、躊躇していてはいけない。これもお国のため(^_^;)。思いがけず校長先生にもお会いすることができた。
 その後、床屋へ行き、歯医者へ行き、最後に愛工大の八草キャンパスまでミッシェルを走らせた。約1時間である。
 大野先生と会って少し相談した後、研究費で購入してもらった書籍やPC周辺機器をどっさり受け取って帰った。
 自宅まで、有料道路を使っても1時間20分かかった。最近電車通勤が多いので、久しぶりのドライブといった感じで気持ち良かった。
 イギリスに注文した本がなかなか届かないので、確認メールを送ったら、アメリカの倉庫から送ったそうで、届くのは来週末つまり月末らしい。インターネットの時代に、注文から受領まで1ヶ月以上もかかるとは……。
 
2月20日(金)「マルチディスプレイ・・・の風さん」
 昨夜来の雨が上がらず、風も強かったので、今日はミッシェルで出社した。
 やはりクルマ通勤は楽だ。
 今日は終日、会社上げて、不況を乗り切るための検討会だった。
 夢中で1日が終わってしまった。ついでに定時後まで延長してしまったので、退社は遅くなった。
 すっかり暗くなって外へ出ると、雨はほとんど上がっていたが、風が残っていて少し寒い。
 ガソリンスタンドに寄って給油するとともに、灯油も購入した。コンビニやドラッグストアにも寄って、買い物もした。クルマだとこういったことができて便利だが、読書はできない(当然だ)。車内で英語を聴いたが、あれこれ考えているとさっぱり耳に入らない。
 夕食後、執筆環境をレベルアップした。高性能執筆マシンの左右にディスプレイが並んだ。バーチャルな資料を見ながら執筆しようとすると、マルチディスプレイは必須である。
 昨日、インターネットで注文した本について、イギリスから連絡があったが、今日もまたメールが届き、それによると、途中で紛失したという! な、なんなんだ〜? 釈然としなかったので、また問い合わせメールを日本語と英語で送っておいた。
 しばらく天候不順が続きそうである。
 明日と明後日は執筆に専念だ。マルチディスプレイが威力を発揮するだろう。
 
2月21日(土)「マルチディスプレイの効果は?・・・の風さん」
 今日は終日執筆に専念した。
 明日から天気が下り坂なので、県図書へ本を返却に行くのは今日がベターなのだけれど、往復で3時間かかることを考えると、先ず執筆を先行させておきたかったのだ。
 皮肉なもので、朝から青空が広がっていた。
 とにかく、今日からマルチディスプレイが「強え見方だぁ」と、見栄を切りながら書斎へ入った。
 PCとディスプレイを立ち上げたら、気分がハイになってきたので、壁紙を変えてみた。小雪ちゃんからネスカフェのホームカフェ。いろんなコーヒーが並んでいるカラフルなやつだ。なんか「鬱(うつ)」から「躁(そう)」になった気分。そう。人格が変わった(笑)。
 マルチディスプレイになったので、あとは、電子辞書と関数電卓(?)を座右に置いておけば、たいていのことに対処できるような気がしてきた。
 ……と張り切って頑張ってみたものの、結局、目標の半分しかできなかった。しかし、この強力な武器がなかったら、もっと遅れていただろう。
 
2月22日(日)「冬でもゴキと戦う風さんの巻」
 昨夜は就寝がやや遅かったが、今日は午後から雨が降りそうだったので、早起きして午前中に県図書館へ行ってきた。今日が返却の締め切りだったからだ。
 とは言え、まだ冬なので、風邪をひかないように、スキー帽をかぶり、マフラーを巻き、ポケットには充電式カイロをしのばせ、さらに花粉症予防に、サングラスをかけ、マスクをして出かけた。時間がもったいないので、英語の録音を聴きながら。電車の中ではむろん読書。
 名古屋駅からすぐバスに乗れて、実にスムーズに県図書に着いた……と思ったら、開館の15分前で、玄関前に100人くらいが行列していた。受験シーズンだからだろう。
 やっと入館してすぐカウンターへ猛進し、2冊の本の継続手続きをしてもらった。
 最寄りの地下鉄の駅で待ち時間がもったいなかった。名鉄名古屋駅のホームにたどり着いたら、目の前でドアが閉まって、最寄りの駅まで直行する急行が出て行ってしまった(涙)。結局、15分後の特急に乗車して、途中で普通に乗り換えることになった。
 正午前に帰宅できたが、理論的にはもう30分早く帰れたはずだ。やれやれ。
 昼食後、地元の図書館へミッシェルで行き、相互貸借本を返却し、新たに2冊借りてきた。
 その後、書斎に入ったが、疲れてダウン。夕方まで昼寝した。
 怖い夢を見た。ゴキのやつが飛んで向かってきたのだ。手で払いのけようとしたら(本当に手を動かしたら)、石油温風ヒーターを叩いてしまい、ゴゴッという音とともに自動消火すると同時に目が覚めた(笑)。それにしても怖かった。
 階下へ降りたら、私がゴキと格闘している間に、ワイフはサンルームから逃亡したペコと格闘していたという。
 マルチディスプレイの威力はすごく、仕事ははかどったが、最後まで行かなかった。
 明日から学業もやらなければならず、ちょっとピンチである。
 だいぶ遅くなってしまったが、雑務もあり、郵送の準備や電子メールでの連絡など、就寝前にまた頑張ってしまった。明日への影響が怖い。

2月23日(月)「昨日の話・・・の風さん」
 昨日乗った名古屋の市バスで、私は中央後ろ寄りの席に座ったのだが、前方の席は7人のシニアによって埋められていた。女6人と男1人である。出発前から静かなざわめきを感じていた。騒々しいのだが、うるさくないのだ。よく見ると、手話で会話している。女6人がおしゃべりしている様子だが、気配だけで耳に痛くない。しかし、騒々しい雰囲気だけは伝わってくる。手と指と唇や顔の表情などを組み合わせて闊達に語り合っている、否、おしゃべりしている。相手の手話におっかぶせて語りかけてもいる。実に饒舌(じょうぜつ)な手話だ。6人の中に健常者が混じっているかどうかは分からない。静かで賑やかな雑談風景だ。そして、私が降りるまで、男はひと言も手指を動かさなかった。
 週末の新聞で作詞家の松井由利夫さんの訃報を知った。長谷川伸賞のときに、私が司会役をやったのは何年前だったろう。授賞式後のパーティーで、短時間、氷川きよしがお祝いに訪れたが、ぼんやりしていた私は気が付かなかった。
 人の死といえば、今日の新聞で、映画『ダークナイト』でジョーカー役をやったヒース・レジャーがアカデミー賞の助演男優賞になったと書いてあった。ところが、驚いたことに、ヒース・レジャーの名前の前に「故」がついていた。私は彼が亡くなっていたことを知らなかったのだ。
 書斎でネット検索してさらに驚いた。ヒース・レジャーは『ダークナイト』完成直後の1年前に亡くなっていたという。そして、な、なんと28歳の若さだった。
 今日の話、昨日の話、そしてずっと前の話。人生はトリッキーである。

2月24日(火)「今日もアカデミー賞・・・の風さん」
 二日連続寝不足になってしまったことと、今日もぐずついた空模様だったので、またミッシェルで出社した。
 やるべきことが多いが、何をやるにしてものろまなので、なかなか片付いていかない。
 会社は昨日に続いて会議が連続している。非常に焦る。精神的によくない。
 昼休みにビジネス英語の本をひもといたが、2ページやるのが精一杯である。焦る焦る。
 それで、ミッシェルで出社したメリットを生かして、今日は早めに帰宅した。
 朝刊も夕刊もアカデミー賞受賞が大きく取り上げてある。景気が悪いときだけに、明るいニュースはこうやって目立たせるべきだ。
 もう何年前になるのだろう。「人と情報の研究所」の北村三郎さんから、『納棺夫日記』の青木新門さんを紹介され、講演も拝聴した。『納棺夫日記』には強烈な印象を受けた。そして、著者の青木新門さんにも何かぞっとするようなものを感じた。
 新宿御苑近くのレストランでモックン(本木雅弘)一家を目撃したのは、その後だな。あのとき既に、モックンは『納棺夫日記』を読んで、映画化を模索していたのに違いない。
 それが「おくりびと」となって、アカデミー賞受賞である。
 人間の想いには、神秘的な力がある。
 
2月25日(水)「だんだんやばくなってきた・・・の風さん」
 昨夜は文献読みを少しやったが、たいして進展はなかった。
 寝不足でフラフラしながら起き出して、何とか出社した(今日も雨だったので、ミッシェルで)。
 頭がボケていても許してくれる社内環境ではない。不景気のどん底である。席を暖めている余裕すらなかった。
 結局、残業になってしまい、帰宅も遅かった。
 ストレスがたまっていたので、今夜も夕食を腹いっぱい食べた(笑)。
 27日の上京が決まったので、スケジュールを再検討し、ケータイへの入力も終えた。
 それにからんであちこちへメールもした。
 そろそろ就寝時刻である。やばい。全く家で仕事ができない(涙)。

2月26日(木)「雑駁(ざっぱく)な1日・・・の風さん」
 今日は突然好天気になった。しかし、寝不足のため、電車には間に合わず、ミッシェルで出社。
 自分のことで手一杯のはずなのに、どうも世の中のことが色々と気になる。
 民主党のO氏が、何やら軍事力強化とも受け取られかねない発言をしたようだ。面白いじゃないか。私はどちらかと言うと、右翼でタカ派だし(笑)。うっかりすると自民党のN氏と同じように失脚するぞ。ああ、口は災いの元(会社で言いたい放題でストレス発散している私も同じ危険にさらされている)。
 柔道の谷選手が第二子をご懐妊とのこと。めでたい。少子高齢化の日本に、今最も必要なのは、子供である。昨今、婚姻率も出生率も外国人の頑張りが目立っている。リアちゃんもそうだし、混血のりえちゃんも、よく頑張った(なんのこっちゃ)。大相撲のハルトくんも「子供は5人ほしい」と言っていた。ぜひ日本国籍を取得してほしい。
 明後日、神田紅さんが近くへ講演のために来られることを、昨夜知った。
 それで、今日、会場や主催者へ電話してみたところ、確かにそうだった。
 ところが、その時間帯、私は名古屋で大野ゼミなのである(涙)。
 
2月27日(金)「東京雪男・・・の風さん」
 東京へ出張した。新幹線がけっこう空いていて、不況の影響を感じた。
 朝から天気予報通りに雨だったが、東京に着いたら、なんと雪だった!
 かつて東京雨男の異名をとった鳴海風が、今日は、東京雪男である。
 寒かった。
 それでも、仕事に間に合う以上に早く東京に入ったので、あれこれと用事を済ませた。
 ネット注文した古本を、神保町で直接購入したので、送料と振込み手数料が浮いた(うれしい)。
 しかし、ついでに他の本も買ってしまった(笑)。
 予定の時刻に目的地に着いたが、会社の仲間が誰も来ていない。変だな、と思って、ケータイに電話してみたら、何と開始時刻が2時間後だった! いったい私は何をやっているのか。焼きが回っているというか、ボケている。
 しかし、それでへこたれる風さんではない。今日は東京雪男だ(なんのこっちゃ)。先日連絡のあった朝日新聞本社の記者さんに電話をし、築地の本社で会うことにした。
 雪山から降りてきたような記者さんだった(^_^;)。
 多面体の私を理解してくれ、これからお付き合いしていただけることになった。ありがたい。
 やっと本来の目的の仕事に戻り、夕方の新幹線で帰名したが、東京を去る時も、まだ冷たい雨が降っていた。鼻水とくしゃみが止まらず、風邪をひいたようである。鳥インフルでなければいいが。
 
2月28日(土)「風邪ひいて徹夜・・・の風さん」
 花粉症と風邪薬を交互に服用してみて、風邪薬の方に効果が見られたので、昨日からの体調不良は主に風邪であろうと判断した(だいたい雪と雨が降っていて、それでくしゃみと鼻水が出るのだから、花粉症の可能性は低かったのだけどね)。
 それで、今日のゼミを中止することにして、昨夜は、風邪薬と朝鮮人参と生卵を飲んで寝た。
 無理せず、と言っても、それほど寝坊せずに起き出した。
 京大の上野先生からありがたい返信メールがあったので、その対応をとるため、午前中の時間をほとんど使った。先ずは、1件落着。
 しかし、体調不良は昨日とほとんど同じで、今朝飲んだ薬も効いてこない。どんどんティッシュがなくなる。
 昼食後に少し横になったら、寝てしまった。やはり不調だ。
 3時過ぎに目覚めて、今度こそ、とこぶしを握ってはみるものの、頭も冴えない。
 そして、余計な気になることが次々に脳裏に浮かんでくる。
 夕食後も、書斎に籠もった。書き上げなければならない原稿があるからだ。明日があるさ、と油断するととんでもないことになるかもしれず、今夜はできるところまでやる覚悟を決めた。
 そうしたら、結局、午前5時までかかってしまった。
 さっと風呂に入って、朝食を食べて寝ることにしたのだが、午前6時ころ、風邪がほとんど治っていることに気が付いた。すごい。執筆の執念が風邪を追い出したのかも。

09年3月はここ

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